5. 平安仏教 ~天台宗~

仏教

比叡山延暦寺は平安京の丑寅の方位にあります。東北方向から入ってくる悪鬼から都を守る役割を担っています。疫病が流行れば悪鬼の仕業、身内や自分の不幸や病は政敵からの呪詛と考えられていた時代です。奈良仏教は鎮護国家という大きな目標と同時に、唯識論で見たように現代の心理学の領域もカバーしています。
うつ病などは物の怪の仕業とされ、加持祈祷で対処していた平安時代です。延暦寺には王城守護の他にも、さらなる験力を発揮させるべく唐へ最新の天台宗を輸入ために最澄が国費留学生として派遣されました。

その一団に私費留学生として随行したのが真言宗の開祖・空海です。
実は当時の唐では天台宗よりもより加持祈祷、まじないパワーが凄そうな密教がもてはやされ始めていました。空海は中国語の読み書きにも優れていたので通訳として貿易船団の日本代表のようなこともしていました。そのうち天才的な外国人留学生がいるぞ、との評判から皇帝の眼前で両手両足を使って見事な書をしたためるなど、超人的な才能によってますます評価を上げるものになります。
ついには密教の第七租恵果和尚から、この外国人留学生に宗派の受け継ぎがなされました。この間なんと2年という短さです。

天台宗 ~ その後の仏教諸派を生んだ総合大学 ~
次の鎌倉時代には仏教が広く庶民にまで広がり始めます。ひたすら念仏を唱えて阿弥陀如来の世界への転生を目指す法然の浄土宗、それをさらに先鋭化して悪人正機説、肉食妻帯も是として親鸞の浄土真宗といった念仏系は比叡山の横川の途中に僧坊がありました。

奈良仏教系のヨガや学術研究からの発展系として禅宗が起こりました。栄西が開いた臨済宗は、悟りの境地を目指して坐禅しますが、言葉を使ったマニュアル化はムリ!と悟りのプロセスや状態の言語化をしません(不立文字)。
そんな言語化不能な悟りの境地をを表現しようとして、五山文学といわれる漢詩のエキスパート、絵のなかに悟りのヒントを描く山水画、もてなしの心を凝縮させて芸術に昇華させた茶道、それに付随する花道などなど、今に繋がるさまざまな精神文化の土台を作りました。もちろん、そうした文化活動をするには経済的なバックグランドが必要であり、鎌倉幕府政権とも近づきます。

また、始祖・達磨大師に習ってひたすら座る(只管打坐)の曹洞宗を開いた道元は、臨済宗と違って政治と距離を取りました。ただひたすら座るのに政治や外交は不要ですし、政治が絡むと寺の人事にも介入されかねません。そうした介入を嫌ってついには比叡山を降り福井の山奥に永平寺を開きました。

日蓮も異質の教祖です。蓮華経、ひいては「南無妙法蓮華経」という文字を崇拝の対象にします。
多神教的柔軟さのある仏教にありながら、一神教的な激烈さがあるのがこの宗派の特徴です。
他宗派の排撃、目的を達成するためには政治への介入を躊躇しないなど、今もその片鱗を見ることができます。

こうした鎌倉仏教諸宗派の母体となったことだけでも、延暦寺のすごさが分かるというものです。
でも、天台宗そのものの特徴というのはどんなものなのでしょうか。
唐の天台山に登り天台教学を受けた最澄が帰国して天台教学を広めました。(806年)
意外なことに、南都六宗は唐においては天台宗より新しいという、日本伝播ではねじれを起こしていました。
奈良仏教が僧侶資格を認定する「戒壇」という権威を握っていたのに対して、最澄は比叡山で12年間の学問・修行を修めると僧侶になれるという、奈良仏教の権威を否定するような画期的な構想を打ち出します。
当然、既得権益のある奈良仏教界は反発しますが、朝廷は奈良仏教界の政治介入を嫌って遷都までしたわけです。朝廷は最澄の案である大乗戒壇を認めて、最澄には「伝教」の大師号が贈られました。
学問としては四宗兼学とし、法華経を中心としつつも、禅や戒、念仏、密教の要素も取り入れました。
ですから天台宗寺院は、坐禅があったり、念仏を唱えたり、加持祈祷もやるなど一通りのことはなんでもできます。
このあたりの事情が仏教諸宗派の違いが世間からみると分かりにくいという原因ではないでしょうか。

おみくじの元祖は延暦寺にあり
神社仏閣でおなじみのおみくじですが、延暦寺中興の祖、第18代天台座主(ざす)良源が始めた元三大師百籤(がんざんだいしひゃくせん)が始めと云われています。
関西で玄関に下のような鬼の護符が貼ってあるお家を見ることがあります。この札が貼ってあればそのお家の宗派は天台宗です。
お向かいさんのお家にも貼ってありましたが、2度空き巣に入られていつの間にかSECOMのシールと入れ替わっていました。

元三大師 、角大師: 夜叉の姿に化して疫病神を追い払った良源の像

僧兵といえば
比叡山延暦寺といえば信長の焼打ち(1571年)が有名です。今でこそ虫も殺さぬ平和の象徴のようなお坊さんですが、平安時代末期になると、延暦寺を始め、大津の三井寺(園城寺)、奈良の興福寺、東大寺などは強大な武力集団をもつようになりました。お寺の経済的な背景である荘園(寺領)の経営や、その領地争い、不輸不入の権(免税権)の適用を求めて仏罰をちらつかせつつ朝廷を脅すほどでした。
宗教にはつきものの宗派間の争いでも、寺院同士で焼打ちをするなどやりたい放題です。

なかでも戦国時代に起きた天文法華の乱(1536年)は最大規模の宗教戦争でした。
天台宗が日蓮宗に宗論というディベートで負かされたことに端を発し、長年対立してきた山門派が浄土真宗、戦国大名(六角氏)を巻き込んで法華宗を京から排撃しました。この争いで上京の3分の1が焼けたと言われます。いまでいうなら、(比叡山天台宗の総力+浄土宗真宗寺院勢力+滋賀県警)が 上京区の日蓮宗寺院に焼打ちをかけて、洛中のかなりの家が焼け出されたというかたちでしょうか。
当時の僧侶のイメージができたでしょうか。

中世の十字軍や、いまだに続くキリスト教徒vsイスラム教の対立を持ち出すまでもなく、宗教組織が武装して戦うことは世界史の上では珍しいことではありません。
日本人の意識の中では、「宗教」と「軍事」は完全に分離していますが、実はその方が珍しいことだったのです。
それができたのは「信長の叡山焼打ち」と、「秀吉の刀狩り」のお陰と云われます。さらに家康が寺領を取り上げる一方で、寺請制度による経済的な代替えを与えたことがトドメとなり、日本では宗教戦争が絶えたのです。(井沢元彦説)

密教もやっています。(台密)
願望を叶えてもらうようにご祈祷をお願いするなら密教が専門です。延暦寺でも総合大学のひとつの学部として密教を取り扱っています。
かつて延暦寺は日本が国を挙げて戦った米国に対して、「ルーズベルト大統領の調伏」をしていたという文を戦記物で読んだ記憶があります。そう、平安時代以来の加持祈祷を80年ほど前にもやっていたわけです。そして結果は、調伏に成功して任期半ばでルーズベルトは脳卒中で故人となりました(1945年)。もしかしたら加持祈祷は効果があるのかしれません。

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