2.日本仏教史概観 奈良仏教

奈良 仏教

仏教伝来ご参拝(538)で学生時代に覚えました。教科書的には百済の聖明王から欽明天皇のときに仏教が公に伝えられたと云われます。(年代は諸説あり。当時の中国は隋の手前の三国時代)
崇仏派の蘇我氏と排仏派の物部氏との抗争などそれに続きますが、それらはどこで繰り広げられていたのか?
6世紀はまだ古墳時代末の古代国家の時代、都は奈良盆地の南側に位置する桜井市や飛鳥町のあたりを転々としていました。考古学の領域なのではっきりしませんが、そのあたりなのでしょう。

ちなみに発掘調査で分かっている都は、仏教公伝から100年以上あとになりますが、板蓋宮(斉明天皇655年)からになります。その間には大化の改新(645年)で公地公民、班田収授法、租庸調といった統一的な税制など国家としてのシステムが構築されはじめました。
遷都の歴史にもどると、次の川原宮(斉明天皇655年)、後飛鳥岡本宮(斉明天皇656年)と飛鳥地方の近所を毎年遷都し、つぎの都はいきなり近江へ飛んで近江大津宮(天智天皇667年)、また戻って飛鳥浄御原宮(天武天皇672年)。そしてようやく本格的な条坊制の都である藤原京(持統天皇694年)へ遷都です。
場所は平城京の南側、北に耳成山、東に香具山、西に畝傍山の大和三山に囲まれたところです。
そして、たった15年で藤原京は奈良盆地の北側へ移転して平城京遷都(元明天皇710年)となります。
奈良時代へと時代は移ります。都としての規模も大きくなり、いよいよ大和朝廷も国家の体をなしてきました。

特徴その1:奈良仏教はお葬式をしない
こうして奈良時代の仏教は、外国語のテキストを解釈する現在の大学のようなものでした。
しかも経典だけでなく、付随して寺院建築技術などの土木建築工事の技術、薬草などの医療技術も入って来ます。
国家鎮護としての仏教として、当時の文部科学、防衛、治安維持、厚生医療の分野に、仏教という舶来の先端科学が用いられるのでした。
それを具体的にイメージするには、南都七大寺があります。巨大な大仏はいかにも鎮護国家のパワーがありそうな東大寺華厳宗)、朝廷にも影響力の大きい大豪族藤原氏の氏寺である興福寺法相宗)、それに隣接するかつては広大な字域を誇った元興寺法相宗)、いまは真言宗に改宗した大安寺律宗との間をとって真言律宗になった西大寺、病気にはいかにも御利益がありそうな本尊が美しい薬師寺法相宗)、世界最古の木造建築、築1300年を誇る西院伽藍の法隆寺(諸宗合わせたが、戦後は聖徳宗)です。

そして当時の宗派は南都六宗(三論宗、成実宗、法相宗、倶舎宗、華厳宗律宗)です。このあとの平安仏教とは様相が異なります。
どんな宗派なのか、具体例をみると学究的な姿勢が見えてきます。

律宗 (僧としての認定について管理、研究する)
中国では、戒(自発的に守るべき誓い)律(信仰集団(サンガ)内での規則)を修めた者しか僧になれませんでした。そして戒律を修めたことを認定しオーソライズするには、既にそれを修めた権威者(伝戒師)しかできません。
日本には伝戒師がいなかったため、国際基準からすると僧はおらず、勝手に僧を名乗る私度僧ばかりということになります。
そこで、天平勝宝5年(753年)に聖武点のによって唐から招聘されたのが鑑真和上です。屋久島、薩摩を経由して政庁のあった太宰府に行き、観世音寺に隣接する戒壇院で初の授戒を行ったのでした。
その後平城京へ行き、東大寺大仏殿に戒壇を築き上皇から僧尼400名に戒を授けました。
また、下野国薬師寺にも戒壇が設置され、戒律制度が急速に整えられていきます。

華厳宗 (本尊はあの毘盧舎那仏。)
人間の内面を無意識にまで踏み込んで体系化した唯識論を展開する法相宗に対して、華厳宗は仏の立場から人間を捉えるアプローチを取ります。だから東大寺の大仏(毘盧遮那仏)は巨大であり衆生を見下ろしているのがピッタリなのです。
この世界は個別具体的な事物が相互に関係し合い無限に重なり合っている(重々無尽の縁起)、と分析します。現実世界を4つの見方に分類(四法界)に分類し、『我々の通常のものの見方は事法界で、無自性の見方の理法界は仏の世界である』と説きますが、インド哲学は難解です。だから研究対象になるのでしょう。

法相宗 (西洋人がフロイトが出るまで知らなかった”無意識”を遙か昔に発見。)
唐代に三蔵法師(玄奘三蔵)がインドから多くの経典を持ち帰りました。その経典はパーリ語・サンスクリット語で書かれた外国語でしたが、それを中国語へ翻訳する国家事業が進められました。
その経典のひとつ、インドの学者ヴァスバンドゥ(世親)の唯識三十頌(じゅ)に注釈を添えて訳出したのが成唯識論です。(興福寺の無著世親像は写実的な彫刻で有名です。)

興福寺の先代貫首(かんす)、多川俊英さんは私が心理学を学んだ大学の大先輩にあたります。
当時はフロイトやユングといった心の奥底やしくみを説いた系統が文系(数学が苦手)の学生に人気でした。それらは一方で数字に表すことが難しく、実験によってひろく再現性のあるものではありません。そこで講座の多くはアメリカ流の行動心理学が幅を利かせます。数学(算数)が不自由だった私は、統計学もプログラミング(BASIC)の授業もサッパリでした。

それはさておき、数字のゼロを発明したインド人、その古代インド哲学のスケールの大きさ、奥深さは研究するに値する複雑なものです。唐では皇帝の厚い信任を得たことから一世を風靡しますが、なにせインド直輸入の哲学ですから難しい。じきに廃れていき華厳宗が唐では流行ります。

この唯識論は心理学を学んだ者からしても、とても興味深いものです。
項を分けて紹介したいと思います。

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